■上野さんの被爆証言
13時より、上野照子さんの被爆証言を収録しました。上野さんは、日赤看護学校在学中に、学校で被爆されました。
被爆当日、上野さんのクラスは赤痢が流行って隔離されて建物の中にいたため、直接熱線や爆風の被害を受けることはありませんでしたが、周囲の被爆者の手当てや、亡くなった方を荼毘に付す作業に追われました。
「胴体や頭はなかなか焼けないので、指の骨を小さな袋に入れて遺族に渡すと喜んでもらえた。」
「原爆で丸焼きになっていたハトを食べたら美味しかった。」
などの体験を、目頭をぬぐいつつ語ってくださいましたが、考えてみたら、その体験をした当時の上野さんは、インタビュアーの川島さん(高2)と同い年だったのです!
14時30分からは、野村久子さんの被爆証言の収録です。野村さんは広島女学院の大先輩で、今回のアーカイブで卒業アルバムの人物照合などにも協力いただいています。
野村さんは空襲警報が解除されて十日市町で電車に乗った直後に被爆、きのこ雲の真下の真っ暗な世界を体験されました。
疎開先の安芸長束へたどりつかれるまでに出会った人たちや出来事を丁寧に語ってくださいましたが、それでも体験したことのほんの一部。野村さんが動員されていた先での戦時中の体験など、もっともっと詳しく伺いたいと思いました。
「インタビューが終わった後に本音が聞ける」の金言に従い、今回はインタビュー終了後の雑談も収録しました。上野さんも野村さんも同じ年齢で被爆されましたが、期せずしてお二人とも、「今の若い人は辛抱が足りない」とのお叱りの言葉を述べておられました。
上野さんへのインタビュアーの川島さん、野村さんへのインタビュアーの藤原さん(高1)やギャラリーは、これからものすごく辛抱して頑張って勉学などに励むはずです。
■中高生平和サミットでの渡邊先生
今回のデモンストレーション&レクチャは、3月11日に発生した東北関東大地震による災害に対する貢献も併せて発表していただき、きわめて感銘深いものがありました。首都大の学生さんたちが突貫工事で制作したコンテンツは、震災直後の救援活動や報道にも役立てられ、アーカイブの技術が「かつて・彼の地・今・ここ」を結び付けることで、多くの貢献をなしうるとを知りました。
ヒロシマ・アーカイブも、「1945年8月6日の出来事」で終わらせないための作業であることを、再認識させられました。
渡邊先生は、立て板に水、目まいを感じさせるほど、次々に濃い内容の情報を投げかけてくださいました。実に挑発的なレクチャであったと思います。沖縄尚学や盈進の生徒から、面白い質問が飛び出していました。広島女学院生には、これから質問力を磨くことを期待したいところです。
参加者で記念撮影をして、女学院生は家へ、他の参加者たちは宿舎へ向かいました。
が、そうはなっていませんでした。生徒たちが「お好み村」や「お好み共和国」などに散らばっているとの情報が入りました。
夜の繁華街に生徒を放り出しておくわけにはいかず、渡邊先生と急きょ引率(乱入?)することにしました。
牡蠣にあたって回復途上にあった渡邊先生とは「豆腐料理でも食べに行こうか」と相談していましたが、お好み焼きになってしまいました。ゴメンナサイ。
でも、居合わせた遠来の先生方とお話しをすることができ、結果オーライということで・・・・
盛りだくさんな一日でした。おつかれさま。
なお、この日の様子は、RCCの藤原記者、NHKの青木記者、中国新聞の山本記者が取材してくださいました。(矢野一郎)
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