1945年8月6日以前の広島の地図について調査に行きました。同行したのは、アーカイブ制作メンバーの女学院高校1年生リーダーの室田さんです。
1,広島公文書館
まず、ANT-Hiroshimaの渡部朋子さんから紹介していただいて、広島公文書館を訪れました。
館長の高野さんと歴史資料係長の池本さんから、1945年以前の様々な地図を見せていただきましたが、建物の名前と形の両方が掲載されている正確な縮尺の地図が見つかりませんでした。
少しがっかりしながら、『広島被爆40年史 都市の復興』という出版物を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていたら、小さく掲載されている、とてもきちんとしていそうな地図が目にとまりました。池本さんに訊ねると、「それは国土地理院の2万5千分の1の地図ですね」とのこと。近くで入手できるのは本通りの南にある中国書店さんだとのこと。
親身にいろいろ教えてくださった高野館長さんでしたが、なんと明日から異動で、別の部署へ行ってしまわれるとのこと。残念ですが、池本さんが今後もサポートしてくださるそうです。
2,中国書店
本通りの南を自転車でうろうろしましたが、中国書店はなかなか見つかりませんでした。写真店で道を訊ねると、すぐ近くとのこと。確かにすぐ近くにありました。小さな地図専門店です。
店主の方に、「こんな地図を探しているのですが・・・」と切り出すと、「今の地図ならあるのだけど、古い地図は、国土地理院から取り寄せるしかないですよ」とのこと。
「え、東京ですよね?」と悲鳴をあげる私に、「いえいえ、広島の合同庁舎に中国地方測量部があるから、そちらへ行ってみたらどうですか」と親切に教えてくださいました。
しばらく店主とお話しをしていて、ふと壁に貼ってある1945年の広島を鳥瞰した写真が目にとまりました。
「これは1枚の写真ですか」と見入る私に、「ほら、こういう航空写真を上手に加工してつなぎ合わせたものです」とファイルを取り出して、多数の航空写真を見せてくれました。米軍が広島上空から撮影した写真で、それぞれの撮影地点の記録もついています。
うーん、見事なものだ。Googleの写真みたいだ。
この写真はいろいろ使えそうだ思い、「この写真は出版されていないのですか」と聞くと、「実はこれも国土地理院にあるんですよ」と教えてくださいました。
もう、これは中国地方測量部へ行くしかないでしょう。
店主さんと話している最中に、公文書館の高野さんから電話が入りました。「広島市文化振興課に良い地図があるようだから、そちらからも連絡が入ります」とのこと。ありがとうございます!
3,国土地理院中国地方測量部
とりあえず、合同庁舎2号館7階の中国地方測量部へ行きます。
調査役の竹崎さんと専門職の若山さんが応対してくださいました。コンピュータで「1945年8月6日以前の地図で、なるべく新しいもの、建物の形が記録されている地図」という条件で、地図を探してもらいました。
わかったことは、
●この条件に合う地図は、昭和7年測図2万5千分の1の地図
●昭和7年測図の地図は、大正14年測図の地図からほとんど変更されていない
●昭和7年測図の地図は、宇品や江波などを白くしてあり、情報量が減じている
●昭和7年以降、広島が軍都でもあったことから、地図は作られていない
以上から、1945年8月5日に最も近い地図は大正14年の地図、ということになります。リスト番号115-10-2-2の地図を、東京かつくばの国土地理院から取り寄せることにしました。柾版というサイズで、500円です。
また、航空写真は1枚1,150円で、40枚ほど購入する必要があります。どちらも渡邊先生の方で購入手続きをしていただくことになりました。
まるで「わらしべ長者」のような調査に午後をつぶされた室田さんは、少しお疲れの様子でした。(矢野一郎)