65年前にこんなことがありました。
当時専門部のなかった小倉の西南女学院から、専門部のあった広島女学院へ転校してくる生徒が毎年いました。その中で、1945年8月5日に転校してきた生徒もいました。あるいは、春に西南女学院より転校済みであっても、勤労奉仕などでこの年の8月6日にはじめて広島女学院に登校した生徒がいました。
そして被爆。
そんな過酷な運命を背負った方のうち、3名の方の所在が判明しています。現在世田谷区在住の小川美佐子さん、藤沢市在住の遣沢勝美さん、そして宝塚市在住の茂木正子さんです。また、小川さんが被爆者手帳を取得する際に証人となられた水野潔子さん(武蔵野市在住)という方が、当時のことをとても鮮明に記憶しておられます。
このうち小川さんと遣沢さん、そして水野さんへのインタビューが実現することになりました。3月25日には遣沢さんのお宅へ伺い、現役の広島女学院生がインタビューします。そして、26日には小川さんのお宅で、小川さんと水野さんへのインタビューを、やはり現役広島女学院生が行い、それをビデオ収録します。さらに、宝塚在住の茂木さんへのインタビューも実現させて、「1日だけの女学院生」という記録映像として遺したいと思います。
この取材の交渉をしている時も、小川さんや水野さんのとても親身な協力をいただきました。水野さんは結婚式出席を取りやめてまで、小川さんのお宅へ駆けつけてくださいます。小川さんとの再会を楽しみにされているようです。皆さん広島女学院を卒業することはなかった方ですが、それでも不思議と広島女学院生に感じるたくましさと親しみを覚えます。取材を続ける中で、すばらしい方たちとの出会いが与えられ、これこそ「新たなコミュニティの生成」というアーカイブ精神の実現だな、と感謝しています。
なお、この取材の様子とその成果は、ヒロシマ・アーカイブでも独立した項目として扱うと同時に、他の被爆者の証言と同じ様に収蔵される予定です。(矢野一郎)
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