20110306

日本バプテスト広島キリスト教会(20110306)

日本バプテスト広島キリスト教会の被爆証言集『語り継ぐ』を、我々のアーカイブに収蔵させていただく件で、この証言集に証言を寄せておられる方々お願いしに行ってきました。承諾してくださったのは、証言者10人中6人で、2人は交渉継続中です。他の2人は「あれは自分が書いた文ではないので」、「ピースボートなどでさんざん証言したからもういい」などの理由でお断りになりました。

今回教会を伺う前に、渡邊先生の作られた企画書をあらかじめお送りして、播磨牧師や証言集の責任者塩山さんに見ていただきました。また、「ナガサキ・アーカイブをご覧になったらイメージがつかめると思います」と申しておきました。そして、今日お願いに伺ってわかったことがいくつかあります。

まず、ナガサキ・アーカイブの証言を見て「自分の証言はこのように要点だけにまとめられてしまうのだ」と思われた方が何人もおられたことです。つまり、「要約されるくらいなら載せないでほしい」ということを言われたのです。それに対しては「ナガサキ・アーカイブは長崎新聞社の証言を使ったので要約されているように見えるのです。ヒロシマ・アーカイブでは、証言者のお言葉は一言一句省略しないで収蔵します。そもそも被爆者の証言に省略できる言葉はありません」とお答えしました。

第二は、英語化されることをとても強く願っておられるということです。これは何としても達成しなければならないでしょう。10人中お二人は広島女学院の卒業生で、英語がご堪能なようです。「誰かが英語化してくれて世界に自分たちの証言が発信されるなら、是非協力したい」とおっしゃってくださいました。

第三に、今まで海外へ向けて被爆証言をされた方は、ある意味「もうこりごりだ」と思っておられることです。細川浩史さんも「もう二度とヨーロッパへは行きたくない」とおっしゃっていましたが、世界各国で証言をしても、その内容を必ずしも素直に受け取ってもらえない、あるいは「原爆投下は仕方なかったのだ」という反応に出会い、疲れ果てておられる方も多いということです。

そして第四に、被爆された方で怪我や火傷を負っていない方、後遺障害のない方は、健康を損なわれた方に対して負い目を感じておられることです。交渉継続中のお二人がそれです。「自分はたまたま建物の中にいて、怪我もなかった。こんな自分の証言は載せないでほしい」とおっしゃるのです。こう言われた方は、今までにもおられました。それに対しては、「被爆証言は、決して怪我自慢ではない。ご自分が見たり聞いたりしたことを伝えてほしいのだ」ということを根気強く伝えなければならないでしょう。

たとえば、三次の近くであの瞬間を迎えた方は「今のは地震だったのかと思った」と証言されています。三次は広島から50キロ以上離れており、そんな遠くでも衝撃があったということを伝えるという意味で、この証言はとても貴重です。このような証言もたくさん集めたいと思います。我々は、怪我がなかったがゆえに語ってこられなかった方々の「声なき声」を追い求めていきます。

承諾いただいた方々には、「4月に写真を撮らせていただきます」とお願いしておきました。粟根さんにお願いして、4月どこかのの日曜日に撮影の日を設定しましょう。

ご協力いただいた播磨先生、塩山さん、永井先生と奥様に感謝いたします。
(帰りに雨に降られ、ずぶぬれになって「もうこりごりだ」と思ってしまった矢野一郎でした)

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